国立文楽劇場

おすすめ度:★★★

成り立ちは江戸時代初期にさかのぼり、古くは操り浄瑠璃と呼ばれた。竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が貞享元年(1684)、竹本座を開設。彼の義太夫節と近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の『曽根崎心中』が大当たりし、この後いくつかの人形浄瑠璃座が盛衰を繰り返した。幕末、植村文楽軒(うえむらぶんらくけん)が大坂で始めた一座が大人気を博し、中心的な存在となった。やがて彼の名「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞となったという。