なべかま博物館 包丁

なべかま博物館のご紹介

包丁のルーツ

原始時代、人類の祖先が先を尖らせた石の鏃で獣を仕留め、その皮を剥ぐ為や硬い木の実を砕くのに、一方のへりを薄く削ぎ残りのへりを握りやすい膨らみにした石器を石斧が包丁の原形であり道具使用のはじまりといえます。

石包丁 約2000年前
その意味では、動物の牙あるいは丈夫な歯の代りとしてうまれ、素材は、石、青銅、鉄から鋼、セラミック、超合金と進化してきていますが、今なおナイフや包丁としてつかわれる道具の歴史は、私達に最も馴染み深いと言えるでしょう。

包丁の産地


仁徳陵 面積 464,124㎡ 周囲 2,718m
堺は古くからそして今もなお有名な産地です。 堺の刃物は、はるか古代より溯り、また、江戸時代の「タバコ包丁」によって名声を高め、今日その伝統の製法とともに、刃物として極めた手作りの切れ味は、プロの料理人のほとんどが堺の包丁を使うという事実が、その良さを物語っています。 堺は世界最大の古墳「仁徳陵」に代表される、百舌鳥古墳群があります。5世紀にはこの古墳をつくるために鋤、鍬の道具を製造する工人が集団をつくり、鍛冶技術の基礎ができたと言われます。戦国時代には、日本刀や鉄砲などを作りました。 そして、16世紀ポルトガルよりタバコが伝わり、国内でタバコ栽培が行われるようになると、この葉を刻む「タバコ包丁」が大量に必要となりました。輸入の包丁より堺の包丁が優れていたために、江戸幕府はこれに「堺極」(さかいきわめ)の極印を押して専売品としました。 ここで堺の刃物は「タバコ包丁」をもって、産業としての基礎を確立していったのです。 明治9年に廃刀令が発令されると、その伝統技術は世界に誇る和包丁に、活かされることとなりました。そして、昭和57年「堺打刃物」が「伝統工芸品」に指定され、今日に至っています。 また、岐阜県関市では、約700年前から日本刀の名匠があらわれ中でも孫六兼元(1433)が有名ですが、やはり江戸中期以降は、包丁、鋤、鍬が主流となりました。 あと高知の土佐刃物、福井の鯖江や武生、新潟の三条、兵庫の三木があり、海外では、ドイツのゾーリンゲン市が刃物産地として世界的に有名です。

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